リトルリーグとは

始まり

1939年、アメリカ・ニューヨーク州の西、ペンシルバニア州ウイリアムズポートという小さな町で、カール・ストッツという29歳の若者が、近所の野球好きな9~12歳の少年12人を集めチームを結成したのが始まりで、初期は3チームだけの小さな団体でした。それまでは行われていなかった少年のためのゲームが6月6日、町の紙やすり工場の敷地内で開催された。最初のゲームは「ランディ・ランバー」と「ライカミング・ダイアリー」というチームが対戦した。
・ストッツ氏は当初から地域社会からの支援(スポンサー)による運営方法を考え、ライカミング・ダイアリー(乳業)社、ランディ・ランバー(木材) 社、更にジャンボ・プレッツェル社という企業から協賛を得ることに成功した。このスポンサー制度による運営方法は現在でも継承されている。

リトルリーグの歴史

1939年 アメリカ・ニューヨーク州の西、ペンシルバニア州ウイリアムズポートで最初のゲームが行われた。対戦チームは「ランディ・ランバー」と「ライカミング・ダイアリー」でした。 1947年 ペンシルバニア州で12リーグに増加、ニュージャージー州にも新たなリーグが結成され全米各地に波及。第1回ワールドシリーズが開催された。


1948年 U.Sラバー社(運動靴メーカー)がワールドシリーズでの冠スポンサーとなり、全面的な支援により94リーグと飛躍的に発展した。

1951年 外国(カナダのブリティッシュ・コロンビア)で始めて国際登録がなされ、初めて外国チームがワールドシリーズ参加。また、韓国を皮切りにアジアから環太平洋に広まる。

1952年 U.Sラバー社よりビーター・マックガバン氏を専任会長として迎え、更に、1.500リーグと著しく拡大する。

1958年 メキシコ・モンテリーグが外国勢で初めてのワールドシリーズチャンピオンとなる。

1959年 アイゼンハワー第34代大統領が6月の第2週目を「国際リトルリーグ週間」と定め、アメリカ中がそれを歓迎した。

 1960年 現在、ワールドシリーズに使われているラマダスタジアムが寄付される。

1964年 日本リトルリーグ野球協会(現在は全日本リトル野球協会リトルリーグ委員会)が発足。 アメリカ連邦議会により、異例となる「連邦憲章」を与えられ、時のリンドン・ジョンソン大統領がこれに署名した。アメリカではボーイスカウトや赤十字社等と同等に、立派な社会活動に関わる権威ある団体として高く評価された。


1967年 アジア地区から初めて調布リトルリーグの前進 である「西東京リーグ」が世界チャンピオンとなり、日本国中で話題となる。

1968年 「和歌山リーグ」が世界チャンピオンとなり、2年連続で日本代表リーグが世界一となる。

1976年 荒木大輔氏を擁する「調布リトルリーグ」がワールドシリーズを制覇し、リトルリーグの名が日本国中に広められ、全国的に組織が拡大していく。

1992年 リトルリーグ創設者カール・ストッツ氏が亡くなる。この年初めてワールドシリーズがナイターで挙行された。

1998年 世界で95の国と地域にまで拡大する。

1969年から の30年間に台湾・台北が17度の世界チャンピオンLITTLE CFARLE を獲得する。

1999年 「枚方リーグ」が世界チャンピオンとなる。

2001年 ワールドシリーズの使用球場「ボランティア・スタジアム」が増設される。「東京北砂リーグ」が世界チャンピオンとなる。

2000年に第3位だった「武蔵府中リーグ」が世界チャンピオンとなり雪辱を果たす。

2010年 全世界で7,123リーグ、220万人の選手が登録される。

2008年に第3位でスポーツマンシップ賞を受賞した「江戸川南リーグ」も世界チャンピオンとなり雪辱を果たす。

主なルール

リトルリーグの野球はほとんど軟式と変わりませんが、発育途上の子どもたちの体への配慮や、フェアプレーの精神を尊重するため、一部独特の決まりがあります。
通常の野球ルールとの違いで最も大きいのは、離塁(塁を離れること)の制限です。ふつうの野球の場合、ランナーが塁から離れるのは、アウトになる危険と引き替えに自由ですが、リトルリーグでは、ピッチャーが投げたボールが打者に届く前や、打者が打つ前に塁を離れてはいけないことになっています。もしこれに違反して早くスタートを切ったりすると、元いた塁に戻されたり、得点が認められなかったりするのです。
ランナーが堅から離れないのですから、ピッチャーは、ランナーがいてもふりかぶって投げられるし、ランナーをけん制する必要もありません。投げようとしてボールを落とすなど以外は、ほとんどボークもなし、また振り逃げがないのも、リトルリーグの特徴です。また、ピッチャーの肩やひじの負担を考慮して、投球数が年齢(11~12歳・1日85球、10歳・1日75球)に基づいて決められています。
詳細は下記の通りですのでご覧ください。 

◆離塁の制限

普通の野球の場合、走者が壁から離れるのは自由ですが、リトルリーグには制限があります。つまり投手が投球した球が打者にとどく前や打者が球を打つ前に走者は空を離れてはいけないことになっています。 これに違反し塁から早く離れて得点しても、その得点はみとめられません。もちろん走者はアウトになりませんが、もとの翌にもどらなくてはならないことがあります。 

◆投手への制限

 肩やひじの保護のため、投手の投球数は、11~12歳は1日85球、9~10歳は1日75球 ・選手が1日に66球以上の投球をした場合、4日間の休息が必要。

・選手が1日に51~65球の投球をした場合、3日間の休息が必要。

・選手が1日に36~50球の投球をした場合、2日間の休息が必要。

・選手が1日に21~35球の投球をした場合、1日間の休息が必要。

・選手が1日に1~20球の投球をした場合、休息日は必要ない。

※注意 試合で41球以上の投球をした投手は、その日は捕手を務めてはならない。 

◆グラウンドの大きさなど

 ・内野は一辺18.29mの正方形とする。外野フェンスまでの距離は60.95m以上なければならない。 

・バッター・ボックスは縦1.82m、横0.91mの長方形とする。

 ・コーチス・ボックスは1.22m×2.44mとする。

・本塁は五角形のゴム板で表示する。一辺が43.2cmの正方形の2つの角を切り取り、一辺を43.2cm、二辺を21.6cm、二辺を30.5cmとする。

 ・ペースバッグの大きさは35.6cm平方から38.1cm平方以内とする。外辺の厚みは5.7cm以下とし、中に柔らかい材料を詰める。投手板は横45.7cm、縦10.2cmの矩形の白色ゴム板とする。投手板の前線から本塁の後部先端ま での距離は14.02mとする。 

◆ボール

使うボールはリトルリーグ仕様および規格を満たしていなければならない。重さが141.7gから 148.8gグラムのもので、周囲が22.9cmから23.5cm以内のものです。 

◆バット

きるパットは、木製でも金属製でも構いません。長さは83.8cm以下で直径は5.7cm以下。特に金属バットでは2010年よりバット本体にBPF 1.15が明記されたものでなければなりません。 米国本部が承認している公認バットの最新情報は以下のURLで確認してください。 

【非木製バット】

 http://www.littleleague.org/Assets/forms_pubs/

2011ApprovedNonWoodBatList.pdf

【コンポジットバット]
http://www.littleleague.org/learn/equipment/

approvedcompbatssmall.htm

 ◆スパイク
金属、くさびの付いた靴は使えません。ゴム製くさびの付いた靴は使えます。 

◆ヘルメット
ヘルメットは両耳つきのものを1チーム最低7個用意しなければならない。打者、次打者、全走者及び コーチは、このヘルメットを着用すること。成人のベースコーチについては任意とする。 

◆プロテクター
男子プレーヤーは全員サポーターを着用すること。捕手(男子)は金属、ファイバーまたはプラスチック製のカップ型サポーターを着用するものとする。捕手は「襟つきの長い胸当て」「のど当て」「すね当て」「捕手用ヘルメット」を着用すること。捕手は練習中、投手のウォームアップ中及び試合中は「マスク」「のど 当て」「捕手用ヘルメット」を着用すること。 ◆ユニホーム
チームのプレーヤー全員は、同じ色、仕立て、スタイルの番号の付いたユニホームを着用する。公認のリトルリーグ・ワッペンはユニホームの左袖の上部に付けなければならない。
監督、コーチは、通常のユニホーム及び金属スパイク靴を着用してはならないが、帽子、スラックス、シャツは着用しても差しつかえない。 

◆ミットまたはグラブ
・捕手は捕手用ミット(一塁手用ミットまたは野手用グラブとは違う)を使用しなければならない。 手を保護できるものであれば形状、サイズ、重さの制限はない。 

・一塁手は(先端から末端まで)が30.5cm以下、横(親指のまたからグラフの外まで)が20.3cm以下のグラブまたはミットが使える。重さの制限はない。

・一塁手と捕手以外の各野手は縦が30.5cm以下、横(親指からグラブの外縁まで)が19.4cm以下 のグラブを使用できる。重さに制限はない。
・投手のグラブは、経目、紐、網を含めた全体が一色でなければならい。但し白色または灰色であって はならない。

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